吹土地改良区は、地域の用排水施設の整備・管理や農地の整備など、土地改良事業を担当する公共組合です。
地区の北方を篠山川が貫流しながら灌漑用水源の大部分に、地区内に青池、赤池等9カ所のため池で水不足の時は一部川水及び湧き水に依存し感慨に多大な労力を要していました。吹土地改良区の前進「吹耕地水利組合」その歴史は大正時代初期にさかのぼり、令和6年11月には創立100周年を迎えることになります。この区の活動は、水利資源の悪条件を改善し、美しい農地を次世代に引き継ぐことを目指しています。
「水は万物が共用し、万物平等に与えられるもの」という言葉は、吹土地改良区の活動の根底にある理念です。この言葉の意味を理解し、水利に関するさまざまな活動を行っています。かつては水利資源の不足や劣悪な状況に直面していましたが、吹土地改良区の努力により、整理された現在の美田が築かれました。
現在も気候条件の変化や地域の農耕環境の変化に対応しながら、地域の農業生産性向上と環境保全を目指して活動しています。農業用水の持つ多面的な機能を保全し、地域社会に貢献してまいります。
ABOUT US
吹土地改良区とは
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BUSINESS DETAILS
吹土地改良区の活動について
BUSINESS DETAILS
土地改良事業について
土地改良区は、農地を効率的に活用し農業生産性向上と環境保全の整備を目指して活動しています。農業用水路・ため池、河川からの揚水に関わる多くの施設・設備の整備・維持管理を行いながら、防災対策用水への活用、生態系の保全など、限りある水資源の多面的な活用を効果的に行えるよう活動しています。
吹土地改良区の主な活動
・農業用施設(水路・農道など)の整備
・更新事業
・揚水施設の整備
・維持管理
・農地の区画整理
・造成した土地改良施設の維持管理
・更新事業
・揚水施設の整備
・維持管理
・農地の区画整理
・造成した土地改良施設の維持管理
「吹耕地水利組合」の歴史
東吹、吹新、宇土、西吹、東古佐、網掛の七つの集落で構成される地区では、一四七戸の農家が二一七町二反の水田を耕作していました。しかし、灌漑用水は溜池や河川、一部井戸や湧水に頼っており、水利の便が悪かったため、植え付け後は連日水車や釣瓶で揚水する必要があり、旱魃の時には水争いが絶えませんでした。
さらに、春の畔付けに備えて年中水を湛えておく必要から、二毛作ができず、一部の耕作地は稲作をやめて大豆や野菜、麦などを作っていましたが、地下水位が高いために十分な収穫が得られず、経済的にも多くの苦労がありました。そこで、当時の味間村村長平野源二・河南国蔵・河南多三郎ら村内有志が耕地整理の施工を計画し、吹耕地整理組合の設立をすすめます(大正2年2月28日設立)。
篠山川から揚水するための揚水機を設置し、全耕地の整理を進めました。これにより、労力の節約と生産力の増加が実現し、地域の発展に寄与しました。(大正6年全耕地の整理完了)
この事業を通じて、水利組合や産業組合などの共同事業も生まれ、農事改良の組織が発展して行き、後の吹土地改良区(昭和27年2月22日)に引き継がれています。
さらに、春の畔付けに備えて年中水を湛えておく必要から、二毛作ができず、一部の耕作地は稲作をやめて大豆や野菜、麦などを作っていましたが、地下水位が高いために十分な収穫が得られず、経済的にも多くの苦労がありました。そこで、当時の味間村村長平野源二・河南国蔵・河南多三郎ら村内有志が耕地整理の施工を計画し、吹耕地整理組合の設立をすすめます(大正2年2月28日設立)。
篠山川から揚水するための揚水機を設置し、全耕地の整理を進めました。これにより、労力の節約と生産力の増加が実現し、地域の発展に寄与しました。(大正6年全耕地の整理完了)
この事業を通じて、水利組合や産業組合などの共同事業も生まれ、農事改良の組織が発展して行き、後の吹土地改良区(昭和27年2月22日)に引き継がれています。
MESSAGE
理事長 挨拶
吹土地改良区設立100周年を記念してホ-ムぺ-ジを作成しました。
80周年には立派な記念誌を作成しましたが、新たな試みとして定期的な更新により何人も最新の「吹土地改良区」を知ることができます。
また、提出書類等の作成もダウンロードして可能となります。
歴史と伝統のある「吹土地改良区」として次世代に向けた新たなスタートです。
今後とも関係機関並びに組合員の皆様には一層のご指導、ご支援をお願い申し上げます。
80周年には立派な記念誌を作成しましたが、新たな試みとして定期的な更新により何人も最新の「吹土地改良区」を知ることができます。
また、提出書類等の作成もダウンロードして可能となります。
歴史と伝統のある「吹土地改良区」として次世代に向けた新たなスタートです。
今後とも関係機関並びに組合員の皆様には一層のご指導、ご支援をお願い申し上げます。
第10代 理事長 波々伯部 富一
ADMINISTRATOR
歴代 管理者・理事長
《 管理者 》
《 理事長 》
歴代 | 氏名 | 任期 |
初代 | 河南 國蔵 | 大正2年4月 ~ 大正6年3月 |
2代 | 河南 多三郎 | 大正6年4月 ~ 大正13年3月 |
3代 | 波多野 榮五郎 | 大正13年8月 ~ 昭和2年2月 |
4代 | 河南 栄太郎 | 昭和2年2月 ~ 昭和6年2月 |
5代 | 稲山 平太郎 | 昭和6年2月 ~ 昭和22年4月 |
6代 | 上田 小三郎 | 昭和6年2月 ~ 昭和22年4月 |
7代 | 佐貫 又蔵 | 昭和24年1月 ~ 昭和27年3月 |
《 理事長 》
歴代 | 氏名 | 任期 |
初代 | 田中 政次郎 | 昭和27年3月 ~ 昭和49年3月 |
2代 | 溝端 勇 | 昭和49年4月 ~ 昭和53年3月 |
3代 | 平野 亮三 | 昭和53年4月 ~ 平成2年3月 |
4代 | 溝端 昌之助 | 平成2年4月 ~ 平成10年3月 |
5代 | 前川 円治 | 平成10年4月 ~ 平成14年3月 |
6代 | 井上 和雄 | 平成14年4月 ~ 平成18年3月 |
7代 | 溝端 清 | 平成18年4月 ~ 平成22年3月 |
8代 | 溝端 肇 | 平成22年4月 ~ 平成26年3月 |
9代 | 河南 克典 | 平成26年4月 ~ 平成30年3月 |
10代 | 波々伯部 富一 | 平成30年4月 ~ |
HISTORY
沿革
昭和27年
組線の改組により吹土地改良区として継承
法第5條第2項県指令耕第197号の1認可
法第5條第2項県指令耕第197号の1認可
昭和37年
創立50周年記念式典
味間中学校体育館に於いて物故者慰霊祭、功労者に感謝状を贈る
味間中学校体育館に於いて物故者慰霊祭、功労者に感謝状を贈る
昭和38年
全国土地改良区事業連合会より優良土地改良区として表彰
昭和42年
県営にて災害復旧 篠山川井堰竣工
昭和43年4月
東吹上地区 新加入する(151,663ヘクタール)
昭和45年7月
潅排改良事業の竣工
昭和51年9月
3号ポンプ設置、安田川と篠山川合流地点にΦ200×950m(延長)
昭和51年
賊課金の平等化
昭和52年5月
3号ポンプ吹土地改良区に引継ぐ
昭和53年
第8工区改良工事完成 第5工区改良工事完成
昭和54年
第6揚水場新設工事 第6工区改良工事完了
昭和55年
青池改良工事竣工 第7工区改良工事完成
昭和59年
適正化事業 第6幹線改修
昭和60年3月
銀賞受賞(全国土地改良区事業団体連合会)
昭和60年
4号ポンプ(青池換込み工事)完了
昭和61年1月
第一揚水場ゲート改修 以後4回補修
昭和61年4月
田松川井堰改修 鋼製手動転倒ゲート
昭和61年
赤池護岸工事竣工
昭和61年4月
新池埋立工事完了(現 四季の森学習センター)
昭和63年3月
兵庫県土地改良事業団体連合会30周年記念県知事表彰 受賞
昭和63年
近畿自動車道舞鶴線 開通
平成2年
第一揚水場ゲート修理(工事費 2,000万円)
平成3年
吹土地改良区定款の改正
平成5年
大型店 ニュース丹南 オープン(2町4反)
平成5年
丹南町 公共下水処理場(西吹地区に共用開始 1町7反)
平成6年
赤池浚工事完了
平成6年3月
八幡谷水系 八反頭首工水利権に関する協定
平成7年3月
金賞受賞(全国土地改良区事業団体連合会)
平成7年4月
八幡水系 八反頭首工水利権に関する覚書
平成10年
適正化事業21期生 杉地区への幹線水路改修 1,570万円
平成10年3月
お菓子の里 丹波進出(ちどりや)東吹地区(2町2反)
平成7年~11年
適正化事業 19~20期生
平成12年
第一幹線溝床嵩工事(2,116,000円)
平成12年
洪水吐ゲート(第一頭首工)改良工事
平成15年
第一揚水場吐出管 改修工事
平成15年
吹土地改良区 管理棟 新築工事完了
平成18年
都市と農村の交流事業「ふるさとむら吹」の設立
平成19年
農地・水・環境保全向上活動(現 多面的機能交付金事業)の開始
平成29年
第三揚水機場補修工事・41期生 平成29年度加入適正化事業完了
平成30年
第一頭首工ストックマネジメント事業完了
平成30年
田松川頭首工補修工事・41期生 平成29年度加入適正化事業完了
令和4年
第四揚水機場補修工事・41期生 平成29年度加入適正化事業完了
令和4年
複式簿記会計導入
令和6年
吹土地改良区 創立100周年
吹土地改良区 ホームページ開設
吹土地改良区 ホームページ開設
ORG CHART
組織図
DOCUMENT
公開資料